さて八月となり最初のカウンセリングです。
今日は3日、二週に1度のペースだと今月は3回カウンセリングするということになりますね。
7800×3ェ‥。
どんな感じかな?前回はうまくいってる、でも疲れている、といった感じだったけども。
順調です。ジム通いも続けられています。ジムでもかわいがってもらってます(日記:病気と向き合ったからこそ、手に入れたモノ)
と、話すと腰を入れなおす?どういう感じ?と聞かれたので実演してみる。
ジャブはやッ!と喜んで貰えた。嬉しい。嬉しいけどボディブローの話をしてたのにw
抑うつの日もあった、そんな時に思った、カラダ動かしてェ~と思ったことも話した。
強制的にでもカラダを動かすと脳からいいホルモンがでるからね。とってもいいこと。
逆に抑うつにまかせるままに部屋に籠もっていると、悪いホルモンがでちゃう。悪循環だね。
ブレーキは勿論重要。
でもダメスパイラルを突破するためのアクセルも重要って話だ。
自分の中にみる「欠落」
何故抑うつになったか、それを話した。
僕の家には母校(中高一貫男子校)から季報?といったらいいか、年四回くらいお知らせが届く。
A4の茶封筒で大きく学校の名前が書かれている。
それをみるとフラッシュバック、ほどではないけど嫌な思い出がリフレインする。
考察PTSD 僕の場合のフラッシュバック
中高一貫男子校で僕が得られなかったモノは多い。
というか共学の青春時代で常識的なレベルで得られるべきものが得られてない。
女性への扱いだったり、女性へのトキメキだったり。
僕の母校はあまりにも「不自然」だった。
中高一貫男子校の、もっと云えば僕の男子校の不自然
その言葉に先生
「不自然」ね、具体的にどこが「不自然」だったの?具体的に挙げてみて
具体的には
中高一貫男子校だということ
親主体のイベントが文化祭を含めて存在していること
進学校を謳っているが大した結果をだせてないこと
部活が弱い、部活が週3しかないこと
市内ですら学校の名前を挙げても知らない人が多いこと
僕のいた頃から生徒数半分になっているが経済的に運営できている、ということ。
そして自分の後悔、失ったものとしては
環境は自分で選べるという事を学べなかった(高校受験のことです)
環境は自分で変えられないという絶望
新しい世界を外で見つけることすらできないという絶望(これは田舎だからしょうがない)
続ければモノになる、実現できる、そんなことはない、という絶望。
あと女性に関するトキメキが僕には壊滅的にない。
大学は結構有名な大学の理系キャンパスでした。理系隔離!
となるとほぼ男子校です。インカレの女子大との共同のテニスサークルに僕は入っていた。
そこでの女子に幻滅というか、精神年齢的には女性のほうが上、という話は聞いてたけどそれは女性がマウントとるための嘘ではないか?と思った。
基本的に僕は尊敬できる人しか友達にできない。
でも尊敬できる、のハードルはそこまで高くないように自分では思っている。
いつも笑ってて、一緒にいるだけで明るくなれる人
暗くて卑屈で一緒にいるとイライラするけどそんな自分にプライドを持ってる人
頭の回転が速い人
どこか間のいい人
絶望にまで追い込まれ、途方にくれてそれでも勇気を持って立ち続ける人
人生のカジをとって歩き続ける人
話をうまく聞いて受け取ってくれる人
仕事が雑だが速い人
遅いけど丁寧な人
結果をだすために努力ができる人
才能だけで結果を出す人
字うまい人、イラストかける人、カッコつけててカッコイイイケメン、綺麗に化粧して美しい美女
上で上げた例の人は実在します。もっと書きたい、もっと思い出したい。けどこのへんにしときます。
こういう人に会うと感謝する。会えてよかったと思う。ツイッターの皆さんにも同じものを感じてます。
自分は人のいいところ探しは結構うまいと思う。悪い所は、気持ち悪いのはお互いサマだよねwって哲学を持っている。
でも女子大に通う彼女たちからは、不思議と感じられなかった。尊敬が見つけられなかった。
もっともそれは中高ですっかりボロボロになった自尊心が見せたものだった、のかもしれないけど
尊敬ができない人は友達にもできない‥。やっぱり当時から僕は病んでいたのかもしれない。
女子への期待のハードルが高すぎたのかもしれない。
友達にできなきゃトキメかない‥。彼女にしようなんていうアイディアも出てこない。
当時は今以上に偏っていたと感じる。
つづきます。カウンセリング備忘録⑤-2俺の辞書にはトキメキなんてない