人生

今ここに至るはなし①

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4月に就職してから今日ここまでに至る経緯を書いていく。


もしも、身近にこんな人がいたらもしかしたらうつ病の気があるかも。、、と声をかけてみてもいいかもしれない。

あっさり決まった就職活動

僕は2017年4月に新社員として入社した。正社員である。
長らく東京でフリーターをしていたので本当に幸運だった。
それと同時に本当に人手不足な世の中なんだなぁと思った。
働き盛りといわれてる自分がこうして休職してるのは本当に心が痛い。

 

それなりに過酷な仕事だった。
僕は太っていたのでリーダーからやせるぞぉ!ビシビシ仕事覚えてもらうからな!と心地よい激励をいただいた。
特に朝が早い、これが慣れるまでキツかった。
入社したての4月、まったくの未経験、しかも専門的な分野だったので仕事を覚えるという以前に言葉を覚えることから始めるレベルだった。
それこそあいうえおから始める必要があった。
その時は仕事も繁忙期というわけでもなく仕事が薄いわけでもなく仕事を覚えるには適当な時期だった。
最初の二週間は定時であがらせてもらった。あとの二週間は残業を少しした。
職場は男ばかりだったがずっと男ばかりの環境で働いていた自分には気楽だった。
正直まったくいないっていうのもハリがねぇなぁ、と思ったりしたけど。
五月に入って腰をやった。なんとか休まず仕事をすることができた。
急に動くことのおおい仕事なので身体を壊して辞める人の多い仕事らしい。
会社の内外のいろんな人から頑張って続けてね、と言われた。

体重増加、それは貯金を1度に失ったようで

もしや、と思い体重計に乗ってみた、やや!どうりで腰をやるわけだ!
100kgの壁を越えていやがる!
実家で暮らす前は91kgだったのに、、っていうかマジで?
体重計は106kgを指していた。

 

母は料理が好きである。そして母の作る手料理はうまい
ただ人のため人のためにと動く母のおかげで夕飯は9時を超えることもあった。
僕は東京にいたとき朝しっかり昼適当、夕飯一人の時は基本的に食べない、昼飯は4時くらいという自分なりにルールをもっていた。それが乱されるのがつらかった。
朝は軽く、昼は会社の給食、からの八時間後の夕食、腹がへってしょうがない、と母に訴えると
じゃあ腹つなぎにラーメンでもつくるか?いや夕飯はそれでいいから。
でも。と母は言う。僕は角度を変えて答える。でも。と母は言う。僕は感情的になって答える。
でも。と母は言う。こうまで言われると自分の答えに自信がなくなってくる。

 

わかった、お腹すいてるけど、明日五時起きだけど8時からね、
手作りの山盛りの揚げ物を前に給食は油モノ多くない?と母が心配した。

 

91kgまで減らしたのに僕は五年間かかった。
まるで五年分の貯金を全部もってかれた気分になった。

 

6月にはいると仕事とが忙しくなった。
夏の暑さもあった。でも僕は絶好調だった。
うまく職場にも溶け込めてるし、後は時間だけだ。

 

体重は減らなかった。さらに増えた
やっぱ我が家の食卓はおかしいのでは?と母に言うと喧嘩になった。

 

感謝が足りない!と感謝が足りない!と連呼しつづけた。

 

今の俺に何がたりないんだ!というと
感謝が足りないと思わない?と父に同意を得ようとした。
わけがわかんないよ、と僕が怒鳴ると
じゃあいい、私はなにも言わない、と議論を終わりにした。
いつものことだけど、いつものように終わらせたくなかった自分は三十分は母の前で訴えた。

 

今だけでないずっと相談すると最終的にそうなる。それでいいのか?
自分がしてあげたいことを拒まれると、でも、といい、それでも拒否すると最終的にそうなる。それでいいのか?
最終的に僕は自分の気に入らないモノを多く持たされている。それでいいのか?
それでいいのか?

 

そんな問いかけに母は

 

知らない、私はなんにも言わない。とだけ応えた。

 

6月は絶好調だった。にも関わらず、にも関わらず、多分L3くらいにもってかれた。

 

7月になった。
仕事はミスもするがどんどん覚えていった。好調だった。
一人で現場に行くとき先輩全員から別々に向こうの責任者の連絡先をもらった。
なんだか寄せ書きみたいだった。
と後でチームのみんなに言ったらゲラゲラ笑っていた。

 

この頃に戻れたらな。と思う。

 

そっからは頭の中が大変だったと思う。
家庭では母が寝坊をし、もう朝ごはんいいよ、と言ったら感謝が足りないと怒鳴られた。
母が丹精込めて作った朝食を二分で平らげ
痩せない、とにかく痩せない。と頭の中がグルグルした。

 

細かいミスが増えた、重いものを持ち上げるのに以前より時間がかかった。
朝はシャッキリしていた。
夜帰ってくると疲れてすぐ眠ることが多くなった。

 

しかし夕飯を寝過ごすことなんてあるともう大変だ、母は鬼のような剣幕で一階から自分の名前を呼びつづけた
自分の名前を叫び続けた。
疲れて力がでない、なにかを叫び続ける母の声が聞こえる。
ねたい、三日くらい寝たい、ナニカをおなじことを叫び続ける母の声が聞こえる。
声に応える、でも届かない、その叫び声は増すばかりだ、おなじ文言を、ひたすらひたすら

母に声を届けるには全力で叫ばなければいけない。

 

そこまでしないと届かない。
しょうがないので重い身体をひきずって下へ行く。

 

そんなわけで僕は自分の名前が嫌いです。

 

母が連呼する自分の名前が嫌いです。

 

またここに‥戻ってしまった

これはやばい、なんとかしないとマズイ、8月には盆休みがある、その時になんとかしないと。

 

盆休みは却って忙しかった。
龍が如くをやる時間もキッズリターンをシンミリみる時間もなくひたすた結婚以来はじめて実家に帰ってきた妹ととの団らんに過ごした。
疲れた、疲れた、といっても誰も理解してくれなかった。
食欲無い、食欲無い、といっても母は否定した。
僕の疲れた、だるい、そういう振る舞いに母は何?文句があるならいいなさい。非難した。

 

ただ母方の実家の叔父叔母と従姉妹は僕がただならぬ悪い状態にあることを理解してくれたようだった。

 

盆明けから早速仕事は忙しかった。自分はもう

まともじゃなかった。

 

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