人生

人生⑯人生で一番輝いていたころのはなし

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ワークショップって言葉がある。


本来はどういう意味なんだろう、僕の解釈だとお金を払って技術を習う教室、といとらえ方をしている。
教えてくれる「先生」は先生と呼ばれたがってない人が多い。
教えるプロフェショナルが「先生」と呼ぶならばワークショップで先生をやってる人は
先生というよりは現役でその仕事や趣味をやってるイメージがある。
あと塾とか学校に比べると安上がりで単発だったりする。
ナニカを学びたい、ナニカを始めたいかじってみたいって云う人はワークショップって言葉でググってみることをオススメします。

 

お芝居の勉強をはじめる

養成所を三ヶ月で辞め、月一程度で舞台に立ってた自分は
とにかく表現を学びたい、と思い演技のワークショップを探していた。
ネットでみたらでるわでるわ。
お、お試しは無料で入会料1万月謝1万だって!
そんなワークショップをみつけた。

 

生徒は同年代か、もう少し若い人たちが多かった。
そして女の子が多かった。求めた環境だったかもしれない。
週一の半年間のコースを受けたがこの半年間は人生で一番楽しかった時期かもしれない。

 

授業はインプロといって、即興芝居から演技へのアプローチを行っていた。
これが自分にはむいていた。
このインプロってヤツにそっから5年以上関わるし、これからも関わることできたらな、と思っている。
あと印象的だったのが宿題
映画のワンシーン(基本的にチョイスは自由指定があることも)をモノマネする。
最初は一人で、途中からコンビを組んで。
基本的にプロになりたい、というよりは一生一度はやってみたい!という若者が多かったが
コンビを組んで芝居を作る、という段階に入ったら熱を込めて練習していた。
授業15分前に稽古場に入るとみんな練習してるんだ。
大きな声で、終わったらこーするべきだったと思う、あ、うまくいきそうとかセルフダメだしをしながら
それをみてて、なんて美しいんだろう、と僕は思った。

 

半年のカリキュラムが終了した時、集合写真を見ながら仲間の一人がいった。

 

俺この写真に写ってる全員の好きなところ言えるぜ!

 

なんだかねぇ。ちょっと泣きそうになってしまった。

 

一方食うための生活は大変だった。

漂流者、としてのアルバイト生活

まず飲食店のバイトをしたが食っていくには足りなかった、それにどーもチェーン店という環境に水があわず二ヶ月でやめた。
小道具として前掛けをもらった。
年末に入るとヤマトの仕分けのバイトをした。ベテランのおじさんから、この仕事痩せるよぉ。と云っていた。
たしかにおじさんは背は小さいけどマッチョでまるで忍者のようなフォルムをしている。
75歳だそうだ、おじさんじゃなかった。色々すげぇな
昼間も活動していることを話すと、
若いねぇ。でも身体か心かどっちかやられちゃうから、気つかうんだよ。と言葉を貰った。
繁忙期バイト転々とすれば稼ぎはいいんでね?となにかを掴んだ自分はバイトの方針をみつける。
次は年度末、探してみると棚卸しのバイトが結構いい時給で転がっていた。
横浜はちょっと遠かったけど東横線で一本だ、交通費もでるので決めた。
ひたすら品物を数えて腰に巻いた端末に入力する。
いやぁ、むいてないっすねぇ。
向いてる人は本当に速かった。もうテンキーのスピードが速い速い。
夜勤で12時間拘束もあったけどその分稼げた。
繁忙期が終わりそのままその仕事に残る人もいたが僕はやめることにした。

 

で、暇な時は日払いのバイトをしていた。
チラシ配りをやらされた。ティッシュ配るほうじゃなくてポストにガンガンチラシいれる、ポスティングのほうね。
これだったら自分でもできそう、ついでに一人でやるからネタの練習もできるし。
ということでポスティングのバイトを探した。

 

時給1000円!シフト自由!拘束時間最長10時間!

 

ウマすぎる!面接にいくと即決だった。
このバイトに僕は5年間お世話になることになる。

 

2018/01/10記す

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