人生

人生⑮お笑い養成所でのはなしフリータ編

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昨日本を読んだ、ほんとに、自分の人生がなぜこうなったかが書かれていて、つらかった。
思いかえせば大学受験の頃から自分は病気だったのかもしれない。
こと、進路、人生の舵取りに関しては特に

 

 

ワタシ!お笑い芸人になります!

東京でフラフラした僕は親の説得もあり家に戻ってきた。
そして一月後にはニコ動をみて笑えるくらいには回復した。
そんな自分をみて母は酷く怒った。
自分が元気なことをみて、酷く怒った。

 

会社を辞めることにも色んな人に止められたが
コレがフツウと思ってたので自分の待遇を誰にも言えずに根性なしの烙印を押された。
高校の同級生に聞いた話だと僕は工場長をやってるという噂がたってたらしい。
フリーターとかわらん仕事してたよ、それ以下の待遇で

 

とにかく次を決めろ!と母は僕に迫った。
まともになれる気がしなかった。
むしろ不幸になってしまえ、と自分を責めていた。
というかこの劣等感に満ちたデブがまともに生きていく道なぞあり得ない、と思っていた。
だったらばまともでないことがヨシとされる道にいけばいい。

 

お笑い芸人になりまあああす!

 

と僕は決断した
母は云った、昨日みたドラマでいってたよ!社会人たれ!って!
当時の僕には正社員として働くことのメリットを一切感じてなかったのでなんにも届かなかった。
それに後にこのことを母は忘れている。忘れているのである。
この決断自体をすること自体に自分のおかしさを両親が気づかなかったのだろうか。
この頃病院に行って、この病気に気づければな。と今は思う。
決めたのは11月で4月から養成所に行くことにした。
それまではサービスエリアのフードコートでバイトをした。
そこで働いてるフリーターのおじさんたちは本当に優しかった。
辛かったんだなぁ、うまくいくといいなぁ。と励ましてくれた。
お金はモリモリ貯まった。正社員で働くことの意味を本気で考えてしまった。

 

お笑いという表現は楽しかった、そして生活の苦労

そして2011年3月、僕は東京に引っ越す、
そう、2011年3月です。ネット回線や、家具が一通りそろった自分はそろそろバイト探さないとな、と思うと地震がおきた。
結構でかいぞこれ、ヤバいんじゃないか?と思いTVをつけると福島で大地震が起きていた。
東日本大地震です。
バイトを探すどころではない、東京からでもわかる葬式のような空気が伝ってきてるような気がした。

 

4月に養成所が始まったがバイトは決まってなかった。授業は週3だったので空いた時間は日払いのバイトをした。
お笑い養成所ではなにをやるか?というとネタ見せがメインです。
作家や先輩芸人にネタを見せてダメだしをいただく。
養成所にいけば一から教えてくれるわけではありません。
都会だったら富士市にはないけども、お金を払えば芸人として出させてくれる小屋もあります。
養成所に行く前にそういうところでネタをやってみてはどうでしょうか?
いつかやってみたいなぁと夢みてるよりはまず出てみる、それが大事、というかそれしかありません。
養成所に行く前にピンでもコンビでも、始めてみてはどうでしょうか。

 

養成所にはかつて他の事務所所属だった芸人も通ってたりして
とてもじゃないけどその芸人に勝てない。かと思うとそうでもない。
どっちにしてもそういった養成所に行く前に舞台に出て場数を踏んだ方がいいです。

 

不思議と養成所はそういった情報を出さない。
そういうビジネスなんだろうな

 

友達はいっぱいできた。
僕に哀愁を感じると言われたことがある。悲壮感を感じると言われたことがある。お前鬱病みたいな顔してっぞ!と言われたことがある。
僕は多分、好かれていた。
でもねぇ。もう染みついてるんですね。バックレ癖ってヤツが。
自分ってヤツが嫌いでしょうがないんですよ。
三ヶ月で辞めました。

 

それも精神的な疾患だとも気づかずに、なにやってもダメだな。と自分を責めた
でもネタをやること自体はとても楽しく、月に一度はライブに出てた。
ピンでやるのは楽しい、全部自分の責任だから。(ネタがオモシロイとは云ってない)

 

たのしいんですよ、笑いとるの

 

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