人生

人生⑭いまでも納得できないはなし正社員編

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前回からのつづき

自分が何者にもなれるきがしない。

自分は人とは違う、
そんな自分は親父の経営する会社に入社していた。
父は弟で、兄、つまり僕の叔父にあたる人が社長だった。
そんなやんごとなき身分の僕は当然当たりも強くなることが想像できた。

 

いきなり!現場!いきなり衝撃の一言!いきなりステーキ!

現場初日、新卒だったが研修なんぞ存在しない、他の大卒の同期とは違っていきなり現場だった。
1年は現場で修行がんばってくれ、とのこと
現場の同世代の人に
お前俺のこと嫌いだから、とか、お坊ちゃんだからそんなこともできないのぉ?とか言われた。
彼は器用にゴボウをささがいていた。
‥ゴボウをささがくのにお坊ちゃんとか関係ないでしょ‥

 

仕事をするということに対して自分は自信をもっていた。
居酒屋でのバイトよろしく、半年もすれば信用を得られる、9ヶ月もすれば仕事も覚えられるって
二ヶ月はいじめもあったし外国人の同僚にも困惑しながら元気に働いていた。
さて、五月の真給料日。4月ははいらなかったけど五月は満額だぞおお
給与明細をみて愕然とした。11万5000円。。
以前沼津の工場を経営していると書いたが今は工場を拡大し島田の工場で僕は働いていた。
なんの縁もない島田で一人ぐらしだ。
家賃は補助がついてワンルームで44000円だった。その半額は自分もちだ。
それにしても、、少ない。
夏のボーナスは2万円でした。冬のボーナスは8万円でした。

安月給は、血を穢す

僕は思う、世の中には雇われて働いてる人自分で稼いでる人の二種類がいて
雇われて働いてる人はさらに二種類いて大企業で働いてる人中小企業で働いてる人にわけられる
仕事は同じかもしれないけど大きな違いがある。
それは給料だ。
手取り11万ワールドには余裕がない、電気ガスネット携帯クルマそれらの維持費を払うと7万程度しかお金が残らない。
7万程度にはガソリン代も含まれる。貯金をする余裕というものが全然無いのだ。
貧すれば鈍する、という言葉がある通り世界は狭くなり、人間的な余裕も少なくなる。
そして、自信をもつのは難しい。少なくとも僕の場合はそうだった。

 

大企業で仕事してたけどそれを捨てて自分で生きる人生を選んだ!
とドヤ顔で言ってた人を何人かしってる。
でもその余裕と自信は、大企業から頂いたモノである、と気づいているだろうか?

 

仕事は不器用なりに順調だった。
僕の見込み通り半年で僕は気に入ってもらえた。俺のこと嫌いニキからはオールマイティだから!なんでもできるね!と頼られた。
喫煙者はタバコ休憩、というか仕事中手の空いた時に喫煙室で一本吸えるあいまいルールがあった。
喫煙者でない若者が、それって、タイムカード的にはどうなんすかね?と僕に聞いてきた。
これはオオゴトにすべきだ!とチームで話し合った。結果、喫煙に対するルールがしっかりきまった。
まぁ口約束ですけどね。ほんと非喫煙者には申し訳ない。
チーフがよくわからんことで暴れたことがあって次の日朝礼で僕が叱る役をやらされた。
別にイライラするのも僕はかまわんし、当たり散らしても機嫌わるいんだなーとしか思わないけど道具は大事にしましょ、と
なんで僕にリーダーが言わせるのか、なんとなくわかる。
俺のこと嫌いニキが キャバクラいったことない、と云ったのでキャバクラに男三人で乗り込んだり
現場の女の子と一緒にお酒を飲んだりした。
結果お前は女扱いができてない、と云われてしまった。
楽しい思い出ではあるんだけどね。

 

家から徒歩10分の飲み屋にブラリとはいった。
なにかオススメありますか?と聞くと全部オススメだよ!(メンドクセェ)そういう時は、オモシロイモンある?って聞くんだよ(コノオッサンカッコイイジャネェカ)
その飲み屋には給料日には必ずいった。寿司屋を辞めて居酒屋にしたそうでツマミがほんとにおいしかった。

 

プライベートについては
仕事は土日どころか祝日盆暮れ正月も関係ないものだったので一緒に遊ぶ友達もいなかった。
中学から静岡市の男子校の、それも寮にいたので実家に帰っても友達がいない。
行くところも無かったのでよく実家に帰った。
母はいった。貯金をしなさい、保険にはいりなさい。貯金をしなさい、貯金をしなさい。タバコをやめなさい
正直みじめだった。遊ばずにお金貯めれば貯まるとは、思う。
でも他の会社にいる人たちはそんな倹約もなしに旅行に行ったりセミナーで勉強したりしている。
それでも、貯金をしている。
ある日母が云った、アナタはンーーー半分くらい自立してるかな?
僕はぶち切れた。そしたら母は僕に言わずに保険を毎月払ってることでマウンティングを取ろうとした。
いますぐ解約しろ!余計なお世話だ!と云ったら でも! という。感情にまかせて土下座した。
ここで折れるわけにはいけない。結局保険はそのままだった。

 

さて約束の一年、そしたら僕は開発で仕事をするはずだった。
その話を同僚にすると。あーやっぱり特別だぁーと言われた。ドヤ顔でウンッ!と応えた。
で、二月になると社長から人が辞めたから別の工場に移ってくれと言った。
‥話の違いと、これから予想される無能お坊ちゃん扱いと、これまで積み上げてきたものが無くなることに僕は混乱した‥
工場内も結構な騒ぎだった。やっぱこの会社ヤベーな!あまりにも酷い!そんなことをみんな口に出して云った。
また、マイナスからのスタートだ。。ゼロから始められる人が羨ましい。

 

次の工場は繁忙期と閑散期のムラが激しい職場だった。
そういえば人事のおばさん云ってた。人が足りないから、明日からいけ、と。
工場に入ってはじめての仕事をした昼休み僕と同時にはいっただろうバイトのおじさんが怒っていた
酷い会社だ!仕事が楽しくてしょうがない!って人がひっっっっっとりもいないと。
初日は夜10時まで仕事していた。まずは掃除から、自分の心が完全におれてたのがわかった。
チーフがおい!と怒鳴りお坊ちゃんだから掃除もできないの!?と僕を罵った。
お前しっかり指示しろーーー!と怒鳴った。心はめちゃくちゃだった。
土曜は休みだったので旅行にでかけたらパートのおばちゃんから電話がかかってきた。
どうやら僕の知らない人がシフトを急に変えて今日僕がでることになってたらしい。
そのシフト作ったのはその日の朝、だってさ。僕も仕事覚えてないんで、そのシフト作った人に出て貰ってください。それで問題ないと思いますと電話を切った

 

それでも乗り切った。
年収の乗った書類を見て150万だったかな、そんな額が描かれていたと思う。
僕の若い一年が、あの苦労が、惨めさが、こんな値段で買いたたかれたのか。
そんな感じでいろんな部署を転々とさせながら二年は頑張った
頑張ってはいない。無気力に生きていた。お坊ちゃんだから、もうその言葉に反発する気力も残ってなかった。
休みはGEOで借りたDVDをみて過ごす。
給料が上がった5000円も!これお坊ちゃんでないと考えられない増額ですよね

 

嫌になった。自分も嫌いだし、自分の人生もだいっきらいだ。
ふと気づくと僕は新宿にいた。
本当に気づくと、仕事を行くべきなのに気づいたら東京にいたのだ。
三週間くらいフラフラして親に連絡をとった。
僕は会社で働くのは無理だな。と思った

 

ならばとことん不幸になってしまえ。

 

そう思った。
26歳になっていた

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