抑うつと、肯定感がないままの、就職活動
三年の終わりになって就活活動が始まった。
当時の就活は氷河期世代が終わって売り手市場ではあったけど
氷河期時代にできた就活の風習が今より酷かった気がする。
今だとどうだろうか、僕らの就職活動は三年の冬にははじまり4年の春を過ぎた頃には終わっていた。
ま、就活のノウハウとは今とかわらない。
自己アピール:ワタクシはサークル活動でリーダーをやっておりリーダーシップには自信があります!zyu☆katsu☆yu
まぁそんな感じ。
要するに大学時代に打ち込んだものをアピールするってヤツだ
大学でしたこと、赤羽でしたことじゃダメだろうか。
そもそも理系学部っていうのはアドバンテージも多いが相手に研究が理解されないこともある。
複雑な自然界のカタチを表現するためにフラクタル次元を用います。この値が高ければ高いほどそのカタチは再現性があるということです。
これを分かるように説明しないといけない。興味のない人に説明しないといけない。
基礎研究なので
で?それが何に役たつの?と言われたら返す言葉もない。
理系のキャンパスだからサークル活動も盛んで無い、外に求めるにもなにをアテにしていいのかわからなかった。
とにかく自信が無かった。どんなことも今につながってないような、何一つ自分は成し遂げていないような。
ましてや人に使ってもらうなんてとんでもない。
自分は幸せになってはいけない人間なんだ。
フツウに生活ができない
フツウに恋愛ができない
フツウに人付き合いができない
フツウに勉強ができない
こんな自分が人に雇ってもらうなんておこがましいと思った。
他の学生のキラキラに磨いた就活エピソードの中で、ああなんて自分はダメ人間なんだ、
ここにいる資格すらない。。
心の底からそう思っていた。
研究にしてもうちの学科は4年から卒業研究がスタートする。
だから3年の時点で卒業研究の話をふられても本当に困る。
今思えばその事情を話せばよかったんだろうけど、その器量は当時持っていなかった。
成績もボロボロだった。
世の中にはいるんだよ、自分が好きなことに出会えて、自分が好きなことを選べて、自分の楽しいことをしているキラキラした若者っていうのが
そういう人を雇ったらいい、コンプレックスなんかない、ピッカピカのイケメン美女をさ。
多分、自分の中でもプライドがある意味でこの言葉を使う。
そんな奴らにはなれない(なりたくもない)
結局就職活動をまともにしなかった自分は家での仕事を手伝うことにする。沼津での食品工場の仕事だ。
心はボロボロだった。
なにを選択してもうまくいかない、そういう思いで父のやってる会社に入社する。