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人生⑨予備校の寮は浪人するならいいぞぉ

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前回からのつづき

浪人時代の話をしたいと思う。

現役時代、東京理科大を受験した。
全然歯がたたなかった。
したらばなんと岡山東京理科大の学校案内が送られてきた。
うーん身から出たサビとはいえ屈辱。
とにかく僕は浪人することにした。
親が金を払ってくれる、だから宅浪はやめてくれ。
ということで東京の立川の某大手予備校で浪人することになった。
予備校の事務の人からはけっこうきついことをいわれた。

一年でどうにかなるもんじゃないぞ。と

僕は寮で生活することにした。

部屋の大きさは三畳くらいだろうか、ベットと机とクローゼットだけの一人部屋で勉強する機会というものに恵まれた一年だった。

二次関数の接線をもとめる問題は平方完成できる。
単位円状のxy座標はcosθ sinθである。
円周率のおおまかな求め方。
確率問題の場合わけ。
英文が僕に新しい発想を与えた。
古典の活用を一日特訓したら古典が得点源となった。
本も読んだ。
いっぱい読んだ。
寮には大浴場もあったし新聞も三紙とってた
TVも見れた、食堂にあるテレビだけどね。
美少女戦士セーラームーン(実写)が人気だった。
みんなみてるふりをしてる感じでガッツリみていた。
すごいぜ!ほんとにみんな美少女なんだぜ!
在りし日の北川景子はほんとに美しかった。
友達にも恵まれた、若槻千夏の話や深夜ラジオの話をした。
ヤングジャンプに表紙を飾る市川由衣と若槻千夏はキラキラしていた。
さくら水産の昼飯がアツイ!いこうぜ!と友人に誘われた。
ご飯、卵、のり、味噌汁が食べ放題、なんという罪深ギルティ!

ざざっと書いたけど勉強はたしかにつらかったが楽しい生活だったそれに

みんな同じ境遇だった

三回戦でKOされた人もチャンピオンに負けた人もスケールはいろいろいるけども
浪人生という同じ境遇だった。

成績はなかなか伸びなかったが手応えを感じていた。
大学で何を学ぶか、それを考えたとき物理をもっと学んでみたいと思った。
日本語、英語、数学で自然を描写する。
とてもステキだと思った。
その一方で、将来何になりたいか?を考えると憂鬱になった。
何者にもなれるきがしない。。
今思うと、大学時代に対して、もっと楽しさを優先したビジョンを描くべきだった。
勉強は、楽しい、満たされた達成感はある。
予備校にはやっぱり女子はほぼいないといっていいほど少なかった。
このまま物理学科でいいのだろうか、英語も国語もセンターレベルなら順調だ、社会系は手つけてなけど
もしかしたらセンターでどっかの商学部とか受かるかもしれない。
11月の頃にはセンターで日大受かるレベルになっていた。
進路指導の事務姉さんから、ま、好きに受けたらいいんでない?と言われた。
自信がもてた。
国立は広島大学、早稲田うけた、流石に勝てなかった。
マーチうけた、英語にクセがあったがどの問題も基礎、これで落ちたらどこも受かる気がしなかった。それほどの手応えだった。
広いキャンパスにあこがれて広島大学をうけた、体調万全で試験をうけることができなかった。
センター後は疲れがどっときますからねぇ。
結局受かった一番いい学校はマーチの、法律が強い大学だった。
でもビルキャンパスだ、文系学部のキャンパスは遠い。
歌が上手かったのでサークル活動でリア充したかった。
ま、でもあるでしょ。理系にも、そう思ってマーチに行くことにした。
楽しい中でも憂鬱があった。
そういう時は、一日中街を歩きまわるか、カフェイン剤に頼るか、そういった方法を覚えた。
その一日中歩いていたとき、ものすごい暗い顔をしていたのだろう。
道ゆくおじさんにどこ行くの?と声をかけられた。
大丈夫です、と応えたのを覚えている。返答になってないね!
進路指導のお姉さんにも相談してみた。鬱という言葉を教わった。
もしも、その時進路指導アネキに僕は中学も高校も男子校だったから、それだけはさけたい、そんな恥ずかしい相談ができていたら違ったことを考えられたのかもしれない。
母のように彼女は笑いものにしたり罵倒したりしなかったかもしれない。
少なくとも学業に対しては、中高のツケを払えた、の、かも、
そう思って僕は大学へ進む。
2017/12/26記す

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