人生

人生⑦それ「でも」拭えないコンプレクス

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きっとそれは抑うつのはじまり

高1の終わりくらいからか、元気が無くなる、興味のない授業はひたすら寝ていた。
仲のよかった同級生からはお前眠り病じゃないの?そんな病気あんのかよ?しらないけどそんな会話をした。
興味のない授業、というか先生が嫌いな授業は全部寝ていた。
たしかに夢はあった。教師になる夢だった。
でも学校が嫌いになりすぎていた。こんなところに10年もいたら気が狂う、今だってそうだ‥僕は気が狂ってるのか?
そんな状態でも僕はいろんなことを頑張った。

 

縦割りの部活以外の活動の校内美化委員のようなもの、環境委員に中学生の頃から所属し、高校のころには中核になっていた。
やることは年に二度やる側溝の大掃除、あとポスターの作成、、そんくらいかな?ポスターは僕は作ってないけど
とにかく掃除する委員会だ、でも名前は環境委員。
フロンガスなり地球温暖化なり資源ごみなり、当時環境問題は熱かった。
顧問の先生が熱くなっていた。文化祭で環境に関する展示をしよう、ということになった。
僕が環境委員だったこともあって吹奏楽部の後輩も何人かついてきた。
嬉しかった。
先生も若かったんだろう、
高1のときはパルプ産業廃棄物最終処分場につれてかれ、
その化学的に「汚く」なったパルプが最終的にどうなるかを調べた。
最終的には生コンの特殊骨材になったりするんだけどね。
高2のときには山奥で電気のない生活をしている人たちの家に単独遊びに行って展示を作った。
どうにも環境問題に偏ってる人たちに思えた、と正直な感想で結んだら電気のない生活をしている夫婦にえらい褒められた。
マスコミから取材をうけたこともあるが
エコだロハスだシャレオツだどうもカッコイイ方向に歪んだ書き方をされてしまうらしい。
まぁ高校生という立場だからズケズケかけたんだろうなぁ。と今になって思う。
展示は文化祭である。

文化祭といえば吹奏楽部である。めっちゃ忙しかったのを覚えている。

相当偏りのある人たちと生徒を交流させていたから、なんか親御さんから言われなかったのかなぁ。そんな話を卒業してから先生とした。

あのあとなんかあったんやろうなぁみたいなリアクションをしてたのを覚えてる。

クリスマス会では体育館の舞台でネタをやった。大ウケだった。脳から汁がでた。楽しかった。

 

でも、もてなかった。うん、当然だよね。男子校だもの!

 

思春期あるある、モテたかった

楽しい云々じゃなくて根本的に求めていたのはそこなんだろう。

 

こういった要素、
勉強や部活やダイエットをがんばるっていうのはモテる要素らしい。
本を読んだり話題を豊富にして、それをユーモアを持って話したり、部活で後輩に一生懸命に指導したり、これってモテる要素らしい。

 

でも

 

気づきようがないのだ、だって男子校だもの。

 

保護者会から帰ってきた母が嬉々としてこんなことを云った
今日の保護者会でね、中学生の母親がさ、質問して、「息子は結婚できるのでしょうか?」だってギガワロスwwwwっww
シリアスにその問題を考えていた僕
なにが面白いの?と返したが
できるわよぉ。お嫁さんだったらお母さんが探してあげるからね!
と云った。
そういう問題ではない。

 

ほんとにうんざりしていた。
部活に行く、そのことだけが唯一の気力だった。
級友に言われた。
お前たまにほんとに頭いいよね。たまに、だけど。たまに?それ以外は?ボーっとしている。見ていてイラつくよ。そんな時のお前、俺ほんと嫌い
彼なりのアドバイスであり心配だっただろう。

これが初めて自覚した症状だったかもしれない。

 

自分が何かになれる気がしなかったし、世の中が、とっても住みづらく思えた。

 

2017/12/19記す

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