人生

人生③知らないことに飛び込む勇気

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前回からのつづき

季節は巡って小学5年生となった。

ちょっとでも自分を変えたい、自分を強くしたいと思った僕は宗教で習った「5つのしつけ」を実践した。
自分が変わったというより周りが変わった。僕はクラスの人気者になった。
もしかしたら担任のO先生の当時の自分には見えないフォローがあったのかもしれない。
O先生は父より若い男の先生で、いわゆる体育会系の先生だった。
いじめられていた、という過去を知っているせいかほんとに良くしてもらった。
期間限定で高学年だけの陸上競技の活動があった、希望者だけの部活、
つまり運動が楽しい児童だけの陸上競技練習会で秋の市大会を目指す、といったものだ。
O先生の口癖はヤルキンネェノカァ!アァ!だった。怒鳴り声で言う。
でもこの怒鳴り声が僕には心地よかった。
ヤルキンネェノカァ!アァ!という言葉にハイ!アリヤス!と大きな声で答えた。
そんなO先生の薦めで陸上競技練習会にはいった。
やっぱ練習にはついてこれなかったがヤルキンネェノカァ!アリヤス!と喰い気味に応えた自分を周りのみんなも認めてくれた。
知らないこと、できないことに飛び込む勇気と喜びを教えてもらた。一生の宝である。
5年生、本当に楽しい時期だった。この時間が一年で終わってしまうのがいやだった。
その一方で母は本当に地元の中学校にいくの??いくの?と僕に言っていた。
来年からは土曜日に静岡市の塾に行かせる。それから考えなさい、と僕に言わせた。
スイミングとピアノはやめてイイとの条件だったのでそうした。

 

小学6年生になった。

担任はK先生、眼鏡がトレードマークのおばちゃん先生だった。
この先生の対応がステキで今でもこうありたいと思っている。
K先生は物知りで児童の質問になんでも答えてくれた。
自分の知らない答えには
先生もしらないんだけど、こう考えることができる、、と児童と一緒になって疑問に考えてくれた。

 

今でもそうなのかな、僕が小学校くらいの頃は少女漫画が暴走を始めていた。
少女コミック(雑誌名変わった?のかな?)なんていいますけどあんなん子どもが読む内容じゃないですぜ!カイカンフレーズ!
給食の最中、女の子がこうK先生に聞いた
センセーハ``ァジン捧げるってどういう意味ィ?
クハッとむせてたK先生をみて質問の意味もわからないまま大笑いした記憶がある。
きっと女の子もからかう意味でなくいつものノリで質問したんだろう。
どういう答えをしたか覚えてないが、K先生はヒステリーをおこさず質問に答えてたと思う。
いやツッコミじみた返しだったかもしれない。

 

僕は週1で静岡市の塾に行っていた。

一言で言うと楽しかった。電車に乗るのも静岡の街も僕には刺激的だったし
塾には仲間がいた。あと算数が楽しかった。国語も本を良く読む僕には楽勝だった。
K先生はそのことを知ってるのか、授業中にさりげなく他の児童に僕は他の中学にいくかもしれない、と告知した。
みんな流すことなく沈黙でそれを受け入れたが、あれだと分かってない人も多かっただろうなぁ。

 

母に連れられて行かせたい学校、
といっても当時静岡に男がいける私立中学なんぞ数えるほどしかなかったのだが、
そこの文化祭に連れて行かれた。
文化祭は楽しくなかった。
生徒がまず楽しそうでなかった。見えないところでゲームボーイで遊んでいる生徒がいたのをよく覚えている。
父はそれをみてお坊ちゃん校だねぇ‥と言った。
本当に心揺れた
地元中学は小学校よりもマンモス校である。
日曜日に学校でサッカーしたり、ジャンプですごいよ!マサルさんを読んでゲラゲラ笑っていたりしたら
あまり柄のよくない中学生が現れて
お前ら来年からは俺らの後輩だからな、覚悟しとけよ、
とからかわれたことがある。小学校行ってないで部活しろよ。と今は思う。
私立にいったことは人生の大きな後悔だが公立にいったところで楽しい学校生活を送れたかどうかはわからない。

 

私立の学校は、少なくともいじめられることはなさそうだが、つまらなそうだった。

 

母の押しは完全に私学だった。
特に公立にいったら間違いなく自分はいじめられると言った。
それこそ顔を会わせる度にそういった。
週1の塾は楽しかった。同じ私立を目指す仲のいい友達もできた。
でも
でもが拭いきれなかった
そんなでもは母に打ち明けられぬまま、母の押しは続く
母の押しは時にヒステリーを伴った。
10月にさしかかるころ、私立に行くことに決めた。
はっきり言ってここまで正解のでない問題はなかなか無い。
小学生が答えを出すには荷が重い。
それが間違っていたのか、あっていたのか、
自分の感覚を疑うまで追い込められた。

 

私立を受験すると決めた日からこの人達とはもう過ごせないんだ、という憂鬱に飲み込まれ以前のように楽しめなかった。
修学旅行も憂鬱だった。
そしてみんなにそのことを打ち明けられなかった
中学校見学とか、制服の採寸とか、あぁもうこれはいい逃れできない。というタイミングでカミングアウトした。
みんなが潮が引くみたいに自分と距離を取ったのを感じた。
そりゃそうだ。

 

受験の二週間前、兵庫にある宗教の本部に受験祈願ということで祖母に連れられ行った。
そこで教祖に言われた。

 

そっかぁ‥で、おまさんは行きたいの?

 

この人は本当にフシギな力があるんだな、と確信した。ひきつった顔で‥ハイ‥とつぶやくしかなかった。
いつものように行きたいです!と芝居をすることができなかった。

 

卒業式には手紙を貰った、三通貰った。女の子からも

 

間違っていた、多分間違っていた。
そう思った。

2017年11月30日記す

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