ちょっと思うところあってHSPについて書いていきます。これが原因でうつになった、そういう側面は絶対あるとは思うので‥
ここのところ体調が悪いさんたろうです。決まって誕生日前の10月というのはうまくいきません。
夏が終わって寒くなるのがいけないかもしれない。冬が来て寂しくなるのがいけないかもしれない。とにかく毎年恒例のこれがなくなって初めて僕は寛解したといえるのかもしれません。
誕生日前に抑うつを感じ始めたのはいつからだろう、少なくとも20歳の頃にはあった、もう心の癖になっているようが気がする。
自分の誕生日が一点の曇りもなく楽しみ!なんて大人はいるのでしょうか?僕には到底理解できない世界観です。
さて抑うつという魔界、もしくはキシネンという地獄とマトモを往来する日々ですがこんな動画を見て、深くキシネンに足を捕られました。
抑うつに落とし込まれてしまった動画:懲役太郎の人生相談室
【第一回】出張懲役太郎相談室「残された人はどう捉えるべきか」
前にもオススメさせて頂いたVチューバーさんです。(うつ病で疲れた人にお勧めしたいユーチューバー)
懲役太郎さんは前科三犯の監獄経験者、彼は懲役中の話やアウトローしか知らないような話をユーモアをもって語ってきます。彼の語り口には過ちを犯した人間が持つ寂しさとやさしさを持っているように感じます。
さてそんな彼の人生相談室。第一回目からおもくそヘビィな内容でした。
内容が内容なんで感じやすい人はみない方がいいです。かいつまんで説明すると
- 生まれつき障害を持った青年の魅力
- 彼の障害を理解しない彼の親への怒り
- そんな彼が犯した過ちと残された相談者
犯した過ち、については察してください。動画をみればすぐ理解できますが。
とにかくこの動画に一遍に毒されてしまいました。
最悪の決断をした、いろんな才能を持っていた、それ以外は「彼」と重なることが多くてもしかしたら「彼」とすれ違っていたかもしれない。
動画を観終わって一番の感想は、いや見て一番最初に沸いた衝動としては何故お前は逝かないの?これでした。
毒されてしまった僕が自分を取り戻すのは大変でした。
この動画に感情移入して、過敏に、自分を見失ってしまった。
動画自体はとても世の中に有意義な発信です。是非ご覧ください。
HSPとは、超敏感マンの超っぷりにはバラツキがあるわけで‥
HSP:Highly Sensitive Person 過☆敏感☆人 といったところでしょうか?
この漫画の人が当てはまるみたいです。(みたいです)
HSP(超敏感すぎる人)だった話① pic.twitter.com/UdCENJh0JK
— フェルミ研究所@闇の管理人 (@denran1031) October 21, 2019
ちなみに動画はこちらから漫画】HSP(敏感すぎる人)になるとどんな生活になるのか?【マンガ動画】
これをみる限りだと僕は漫画の主人公の彼女よりも深刻なセンシティブマンなようです。
彼女がフォントの違い、つーかズレだな、について指摘するシーンがあるのですが僕はこれ指摘しません。できないっていったほうがいいかな。
それがよっぽど致命的な誤解を促すものでない限りは指摘しません。だってそんな細かいことを指摘したら相手、傷つくし、うるせぇなって思うでしょ?
自分の怒りや葛藤を表現することで相手の気持ちの乱れを過剰に思い図ってしまいます。
だから怒れない、もしかしたら、これはHSPとは関係ないかもしれないけども。ジャストナウで今私は不機嫌になった!を表現できる人はHSPなんでしょうか?僕にはできないので少なくともそれができる人は僕よりもハイリー具合が低いのではないでしょうか。
‥ちょっと僕の中のHSPの解釈が違うのかもしれません。
この解釈の違うのかな?と悩ませる定義の甘さが僕がHSPを嫌う理由の一つです。
ま、でもさ、懲役太郎さんの動画を観て、「彼」と相談者に感情移入してしまった。
かなり深いところまで引っ張られてしまった。これは僕がHSPのキシツを持つからなんでしょう。
さっきも言いましたが俺このHSPって言葉が嫌いです。だって病気じゃないんだもん。
病気だったら闘うことができる。でもHSPは気質だ、心の、傾向にすぎない。
自分に、弱者のレッテルを自分にベタベタはって何がしたい!当てはまるからなんだというんだ!
もうちょっとHSPのレッテルについて踏み込んでいきます。
~だからしょうがない、それがラベルを張るということ
ネットの海を漂っているとHSPについては度々議論されているのをみます。そのたびに俺もそうなのかも、って思うんだけどこの感覚は漫画MMRでキバヤシがノストラダムスに対する感想に似ています。
hspに対する僕の気持ちと
ノストラダムスに対するキバヤシの気持ち、似てる広すぎであんまり好きじゃないのよあの言葉。
しかし昨日観た動画にこれだけ引っ張られてるのは僕がセンシティブマンなせいだと思うんですよ。 pic.twitter.com/xmEhfWo6rv— 富士さんたろう@気分変調症 (@upnsy1984) October 21, 2019
またお前かッ!!HSP!!
HSPについてまとめているツイートをみてこう嚙みついたことがあります。
自分に見えないラベルを張り付けることに何の意味が?
ツイート主さんともう一人の方からレスポンスをいただきました
私も同感です。内面にラベルを貼ることにはメリットとデメリットがあります。
個人差を見過ごしてしまう危険性もありますし、全ての人に必須ではないです💦
ですが、真っ暗な迷路の中で何も見えず何も聞こえず、途方に暮れている人には、出口に進むヒントになることもあります😊— ももか (@momohsphss) August 20, 2019
ラベリングすることで、人と属性でつながり、孤独感が解消されたり、安心や自己肯定を得る、自身と向き合うきっかけになっています。ラベルが一般に認知されることで、自分がHSS気質もあるHSP気質だとつげることで、大まかに自分を知ってもらう、あるいは他者を知ることへの足がかりとなっています🍀
— baoi13🇯🇵あおいサーティン (@baoi13) October 19, 2019
どちらも慎重で、思慮深い優しさに満ちた真摯な回答のように感じました。それを前提にこんなエピソードを思いだしました。バイト先で大学生と雑談した時にこんな会話をしました。
俺コミュ障でさぁ、いろいろ迷惑かけるかもだけどその時はゴメンネ。って女の子に言ったらですね色々大変だったんだねぇ‥って女の子に涙ぐまれて困ったんですよねぇ‥。
まぁネットスラングを使うお前もお前で悪いよ、でもその子はどんな勘違いをしたんだろう?
話を掘り下げて聞くと、多分その子、発達障害と誤解してるぞ、って結論になりました。多分、コミュ障って言葉がフワっとしてて、そっから連想している発達障害って言葉がもっとフワっとしてたんだと思う。で、多分、大変だったんだね、と涙を浮かべるに至った、と。
多分まみれの推理ながら、彼女の偏った、そして善意に満ちた理解に二人でぞっとした。
ラベルをはるっていうのは、悪気がなくてもこういう誤解、起こるとおもうんですよね。わかったつもりが起きかねない、でもってそれは人を傷つける。
それでも、HSPだ!と告白すべき人は存在する
人生にかかわる、生きづらさをもたらすレベルの過敏さ、自分ひとりの力じゃどうにもならない過敏さを持っている人は存在します。
僕のHSPはなんとかなると思います。生きづらさがないかっていうとそんなことないけども。人生という荒波の中で試行錯誤して乗り越えうるものだと思います。
ここがポイントなんだろうなぁ‥生きづらさを感じるならそれを名乗ればいい、自分ひとりで解決できないと判断しているなら尚更、ラベルを自分に張ればよい、でも感じないならばラベルを張る必要なんてない、生活の中で一人で克服できる自信を持つなら名乗る必要はない。
だってHPSは病気じゃなくて心の傾向だから、そう思ってます。
うつになるほどHSPだけど名乗りたくない
僕は一方的に怒られて凹んでる人をみると感情移入して寄り添ってしまいます。
必要以上に人といることに疲れてしまいます。
疲れるから、一人でいることが好き、例えその中に楽しい瞬間があったとしても。
それでも僕は自分にHSPというラベルを張ることはしたくない、それは自分を弱くすることのように思えるから。
そしてそんな困難はいつか、近い将来自力克服できることだと思っているから。
それでも「敏感」な自分と向き合っていかなければいけませんねぇ‥。
ふと芝居の師匠でもある先輩から言われた言葉を思い出す。
お前が繊細だったら嫌われない、お前は俺と一緒で心がバキバキに弱いだけ!
うーん繊細と敏感の違いかぁ‥。この記事繊細ではないなぁ‥センシティブ!センシティブ!
オマケ
なるほどですねぇー pic.twitter.com/FCYkrwBSRc
— 富士さんたろう@気分変調症 (@upnsy1984) October 22, 2019
そうそう!気が付いたらワタシカワイソウのラベルまみれのちづるかわいそう!
2019/10/23エンパスっていうのもあるんじゃ!さんたろうが記す