近所に住んでるおばさん、孫もいるから年齢的にもおばあちゃんだな、は動物好きスキルが高い。
動物スキルがとっても高い。僕なんかは足下に及ばない、とは言わないけど彼女が50代の職人レベルだとすると
僕は25才の若手職人くらいだろう。
先代の犬マコの散歩をしていると向こうからおばさんが近寄ってきた。
「マコちゃん!こんなところでどうしたの?散歩?ハッ!お兄ちゃん!散歩!こんなところまできてマコちゃんは幸せだねぇ!」
と、散歩してる僕よりも犬に目がつく、うーむ貫禄の違いを感じる。
犬飼いスキルに関してはこの記事がオススメ犬飼い歴20年の僕が語る「犬の一生」のはなし
毎日散歩にするうちにマコの顔はどんどん晴れやかになっていった。
うちの家族は犬の散歩をほんとにしない。
だもんで犬はふてくされていた。
散歩するうちに、本当に犬は毎日楽しそうに振る舞うようになった。
散歩をしてると振り返りタノシーネー!とテレパシーを送ってくる。
俺はそうでもないけど‥と送ると
タノシーヨー!タノシー!タノシー!とより強いテレパシーを送ってくる
‥うん、楽しいね。
楽しい、これが「幸せ」のひとつのカタチかもしれない。
祖父は戦争経験者である。
彼の口から従軍時代の話はしたがらなかったが、控えめに言って地獄、だったようだ。
それ以上に戦争から帰還した時代は惨めな思いをしたようだ。
帰還しても居場所がなかった。かいつまんで云うとそんなことを僕に話してくれた。
はだしのゲンって漫画がある。
彼の中学校卒業だったか小学校卒業だったか、そんなシーンで先生が生徒にこういった。
「君たちが過ごした時代は過酷なものだった。これかもこれ以上に過酷な想いをするかもしれない。ここまで生き抜いたことを自信にもってこれからも生きて欲しい」
このセリフはそこまでのオハナシで「過酷」なんて言葉じゃ足りないほど描写されている。
はだしのゲンはフィクションだ、しかし過酷な時代をサバイバルした人がいた。実際にいた。祖父もそうだ。
あるとき祖父が云っていた。
「こうやって、親もして、おじいちゃんおばあちゃんがいる子ども時代があるって、幸せだろうな‥」
祖父自身の今の幸せと、それに僕を重ねて。
晩年は大好きなタバコが吸えなくてかわいそうだったけども、ひ孫もしょっちゅう遊びに来てて
多分、彼は「幸せ」な晩年を送った、と思いたい。そりゃあ細かい憂鬱や機嫌の悪い日はしょっちゅうよ、そんな祖父だった。
祖父の家に家族で遊びに行くととろろ芋をすってくれた。
子どもには刺激が強く食べた後口の周りがかゆくてしょうがなかった。
でもとろろかけご飯の魔力には勝てなかった。
かゆさで悶える僕を見て祖父は笑った。
幸せな時間だったと思う。
僕は言葉を言葉で定義することはあまり好きでない。
言葉っていうのは思い出や経験から滲みでた感情に、名前をつけたい、そこから生まれたもの、これが言葉だと思う。
うーんまとまらない!完全に雑記!
2018/06/17富士さんたろうが記す