さて2018年7月20日、7月は2回目のカウンセリングです。
調子はどうだい?と云われて僕はうまいこといってますと答えた。
ほぉ!
ボクシングジムに先週週5で通うことができました。
今週も達成できそうです。
ミット打ちではドーパミンがガンガンでますわ。
ヤルネェ!でもできるっていう感情に酔ってしまうとそれは無理しすぎに繋がってしまう。
自分でその達成感にブレーキをかけることが大事。
んにしても体重は重くなってしまった。筋肉マニヤの先生からするとその点どうですかね?
君のTシャツ越しの身体をみるだけで特に肩まわりが大きくなっている。
筋トレダイエットで体重が増えてしまうというのはよくある話、その調子で続けてみよう。
今の君はできた!というハードルを飛び越えることができたという達成感が大事。
今までの君は求めていたハードルが高すぎて、もしくは向いてもいないことをやろうとして
それを超えられなくて、自己嫌悪に陥る、そんなパターンが多かったと思うんだ。
その通りである。
向いてないことに挑戦しつづけたのかもしれない。
できないことに挑戦しつづけたのかもしれない。
女性への対応にしてもそう。どうも母に振り回されて僕の環境ではできない「ネバナラナイ」を超えられず破綻する。
体型については別の記事で写真をアップしたいと思います。
抑うつ状態と母との関係
その流れから思い浮かぶは母のこと、昨日は15時頃から抑うつ状態だった。
夕飯を食べずに、そのまま寝たかった。
それはわがままなことだろうか。
グッタリとしたまま夕食を迎えた。ほとんど食べられなかったが父がいたおかげでなんとか母と衝突せずに済んだ。
それについて先生は「外交」と一緒と、人との関わり方も外交に例えた。
アメリカ:よろしいならば戦争だ!
北朝鮮:いいよ!こいよ!えっ!本気でくんのチョマテヨ!
韓国と和解したように、核を手放す方針を出したように
ちょっと食事をするだけで彼女は満足するならばそれをしたほうがいい。
でもそういう時は決まって抑うつ状態。
食卓にうつぶせになってしまったり、廃人状態であり、そんな対応はできそうにない。
母はそうなってしまっている状況を把握できてないきらいがある。
母の「ネバナラナイ」を達成できない自分はデキソコナイなのだ。
云っても通用しない。学校についてもそうだった。
自分が学校どんなやべぇか伝えても僕の言葉を母は僕の嘘や被害妄想で片付けた。
あるときトラブルがあった。
吹奏楽部の衣装で親同士が子ども(同級生の生徒同士)の備品を貸したところ、かえしてくれない、という、
子ども同士だったらよくあるトラブルだけど、親が絡むと、なんか、気持ち悪い話だ。
母は僕にその仲介役を頼んだ。
なんで?そんな義理は僕にはない。
と断った。僕が知る限りそういうことが起こりうるヤツだったので、そうなるのは当たり前のこと。
もめ事は当人同士で行うべきである。
そう、母はそんなことが起こりうる程度の学校だと僕の言葉を信じない。もっと素晴らしい学校だと思い込んでいた。
それを云ったらオシマイよ毒親の一撃
母は僕を「あんたも父方の血を引いてるんだから気をつけて振る舞いなさい」と云い育てた。
オレはどうなんだ、俺をみてその言葉を本当に言ってるのか?
俺がダメなのはその血を引いているから、なんと云う言葉だろう。
僕が大学を留年かました時、母方の祖母の家のすき焼きパーティーに招かれた。
今の現状をできるだけユーモアを交えて話す。
ボロクソに云われた。それはいい。
太ってることをいじり回された。しまいにゃお前はお父ちゃんそっくりだな!と自分だけでなく父すらも罵倒された。
今でいうトコの「マゥンティング」ってヤツだ。
それよりも下品なことのように僕は思えた。
彼らはとても楽しそうで、この流れが下劣であることを咎める人はいない。
「皆さん楽しそうでなによりですねぇ!」と云って僕は家に帰った。
しばらくして母にそういうことがあった、だから僕はあの家とは距離を取りたいと思う。と母に宣言した。
で、「お母さんもあの家の血を継いでるんだから気をつけなよ」と加えた。
その瞬間、自分の中の怒りが爆発した。
口に出してみて気づいた、この言葉は云ってはいけない言葉だ!
その言葉を母に云った自分の卑しさにも腹がたったし、日常的なレベルで僕にそう言って育ててきた母にも腹がたった。
あぁ!ムカツク言葉だわ!これ!と叫んだのを覚えている。
それを云ったらオシマイよ!戦争だよ。オオゲサでなく!
それを聞いた先生は、君は優しく、繊細な男だな、と云った。
自尊心をヨゴされたら怒って良い
というわけで母に対する対応として、先生の見解としては
①僕の「病気」としての扱いを覚えてもらえるとイイネ
②聞き流せるとイイネ
③うまく「外交」ができるとイイネ
そして
④反抗はしてもいい、でも反抗した結果相手が傷ついたとしても、君が落ち込む必要がない。
自尊心という言葉を教えて貰った。
自分を大切にするっていう意味。自分と他人、比較して自分を大切にするっていう意味。
その積み上げて磨かれた自尊心を傷つけられた時、ヨゴされた時は怒って(抵抗して)いい。
そしてその結果相手を傷つける結果になったとしても、それは相手の「責任」
こっちの自尊心を踏みにじった相手の「責任」なのだと。
なんで?そんな義理は僕にはない
そういうことですね。
ちょっと厳しいようなやり方な気がした一方でその方法いいなと思った。
最後に今後、つまり仕事の話をした。
まだ考える時期、じゃないと思う、目の前の見つけた課題をこなしてって、自分を立て直す準備をしてね。
そういってカウンセリングを〆た。
2018/07/20富士さんたろうが記す。