陰に籠もる
陰にこもるって言葉がある。
この言葉僕は気に入っている。
陰にこもることを否定するわけでも肯定するわけでもなく、その状態にあることをそのまま描写している。
ネガティブ、って言葉はポジティヴありきの言葉であんまり好きでない。
強要されるポジティヴが前提のように感じる。
陰があるから陽がある。陰があるから陽が栄える。
どっちも必要、だから陰にこもる、って言葉は否定してるわけでもなく、肯定してるわけでもない。
べっとり湿ってて、真っ暗で、そんな四日間
火曜日からの金曜日、本当に抑うつが酷くて、陰にこもってました。
このままじゃ俺ひきこもりになっちゃうな、そんな四日間。
具体的にはただ、機械的に寝るだけの日
アタマの中では人生の後悔や、今までしてきた人を傷つけたり、嫌われたりした失敗がフラッシュバックする。
脳が、スリップする、立ち上がれない。
悪臭のする水たまりの中で、すべる、トッカカリを探そうとするも暗闇で、ナニも見えない。
‥多分それは気のせいだ‥でもそれを否定できない。そんな中で時間を過ごしました。
僕はtwitterを日課にしている。
最低限朝の挨拶はするようにしている。
これをすることで陰に籠もっていたとしても、少しだけ一日を前向きに過ごすことができる。
挨拶ツイートすることでジムに行く気力になって、でもってこなしたメニューをツイートして一日の舵取りをすることができる。
でもこの四日間は朝のツイートから少しでもポジティヴになることすら否定していました。
ネガツイばっかりですいません、と言う人がいる。
実際ネガティブなツイートするとフォロワーはモリモリ減るらしい。
でも僕はそれでもすべきだと思う。
そのネガツイをすることで、あぁ調子悪いのは俺だけじゃなかったんだなぁと思う人がいるから。
そんなわけで4日間Twitterから離れてました。
金曜日のカウンセリングはなんとか行って、そしたら昨日はマトモに動くことができました。
久々に四日ぶりに朝の挨拶ツイート
懇意にしてもらってるフォロワーさん達から心配したよ、と温かいリプを貰えた。
素直にありがたかった。
義務になったらアレだけど、朝のツイート毎日やりたい、少しだけ前に進めるような気がするから。
しんどくても、やっていきたい。
本当に心配をかけてすいませんでした。さんたろう、今は元気です。
あるフォロワーさんのツイートにこんな意見があった。
多分、今以上にしんどかった多感な青春時代に
Twitterってもんがあって、そこにコミュニティがあって、
同じような葛藤を抱える色んな年の人がいて、
You are (not) Alone
を感じることができたら、人生は変わっていたのかもしれない。と
たしかにそう思う、学校って場所は閉塞感がある、というより閉塞感しかない閉じた空間である。
その閉じた空間で、スポーツや勉強に打ち込むことができないと自分の人格まで否定されている気分になる。
文章や、音楽や、お芝居や、そういった創作は学校でやっても限界がある。
そこに才能や楽しみがあっても、そういったことに打ち込めるのはスポーツや勉強をバッチリこなしてコンプレックスZEROのリア充様だけである。
で、最悪病気にもなると。
今日までの人生、それが憂鬱や葛藤に塗り潰されていたとしても
それは自分だけのもの。
そしてTwitterにしても何にしても、その憂鬱や葛藤にまみれた人生を送らなければ出会えなかったもの、かもしれない。
とにかく、今日の自分に誇りを持って生きていきたいと思う。
2018/11/11富士さんたろうが記す
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